経歴・プロフィール

プロフィール

山田 学

  • 広島県東広島市出身
    高校まで東広島で大学時代はアメリカへ。帰国後は広島市内。今は地元に戻ってきました。
  • 昭和58年3月23日生まれ
    3人兄弟の真ん中。兄と妹がいます。
  • 座右の銘/ 感謝・表現・学び
    私が話をしている中で、どれもよく出てくる言葉です。
  • 好きな物/ コーヒー・カメラ・ドライフラワー
    のめり込むほうなので、好きな物は沢山あります。
  • 好きな事/ アウトドア・絵をかく・旅行・DIY
    その他はインスタnoteで更新中です。

経歴

  • 2001年
    広島県内の高校卒業後渡米
  • 2004年
    米Highline Community college 卒業後、大学へ編入
  • 2006年
    米アイダホ大学卒業
  • 2007年
    インターネットラジオ「setomax radio station」開局
  • 2007年
    第8回広島ベンチャー助成金「ひろしまベンチャー育成賞金賞」受賞
  • 2010年
    広島お好み焼き修行(実店舗運営)
  • 2012年
    楽天市場にてお好み焼きの販売開始
  • 2013年
    お好み焼き販売で総合ランキング1位獲得
  • 2014年
    ArtOfficial 開業
  • 2015年
    株式会社DELTA設立

その他の活動

  • 公益財団法人 ひろしま産業振興機構 創業サポーター
    ネット販売の運営やスタートアップのサポート。一人で行う会社設立(法人化)の支援など。
  • 一般社団法人広島ベトナム平和友好協会 理事
    クアンチ省少数民族寄宿高等学校への奨学金支援活動や、国際交流イベント活動。
  • 東広島市国際交流ボランティア
    国際学術研究都市東広島に暮らす在広外国人の語学サポート
  • Simple Life 代表(市民活動団体)
    「日々の生活の中で、人にも地球にも動物にも優しい選択をしてくこと」をテーマに、無理せずできる丁寧な暮らしを一緒に考えていくコミュニティー

私の生い立ち

小1からバトントワリングを始めました

私の表現の原点は「女の中にボク一人」

幼い頃からバトンを習い、この頃から自分を表現をする環境がありました。

きっかけは妹のレッスンについて行った時のこと。

レッスン後のおやつがもらいたくて習い始めました。

いつも周りは女性ばかりという、性別にとらわれない環境が近くにありました。

中学生までは選手として、高校からは子供達の指導にあたっていました。

バトンを通じて表現することの素晴らしさを学ぶが出来ました。

大会で踊る私(小3)
大会で踊る私(小3の頃)

高校生の頃。指導した小学生チームと。


国際交流を経てホームステイへ

初めて触れた、日本人以外の感性

高校生の頃、米国からの留学生をホストファミリーとして受け入れることになりました。

私の英語はさっぱりでしたが、外国人の友達が出来たたことがとてもうれしかったです。

この出会いがきっかけで海外での生活に興味を持ち、卒業後は海外で勉強したいと思うようになりました。

高校の運動会にて。我が家にホームステイしたシアトルからの留学生たちと。
高2の夏にお世話になったカナダのホストファミリーと。


教育を学ぶため渡米

アメリカでも自分を表現してみたい

高校卒業後は米シアトルへ留学をしました。

子供たちにバトンを教えることで教育に興味をもった私は、「日本からは謙虚さを、アメリカからは表現力を学びたい」と、教育学を学ぶため渡米。

好きなことを好きと言えるアメリカの友人から刺激を受け、在学中は英語の授業以外にも歌や演劇の授業など、興味のあることに積極的にチャレンジをしました。

シアトルのホストファミリーと一緒に。
教育実習で訪れた小学校にて。


アメリカ一周一人旅

2ヶ月の貧乏旅行は私の挑戦の原点

19歳の頃、「1年を366日過ごす方法」を真剣に考えた末、「寝るのが惜しくなるほどの楽しい経験が出来れば、時空を超えられるのでは」と思い、バックパック一つでアメリカ1周の旅に出かけました。

激安ホステルや野宿をしながらのサバイバル一人旅。

ヒッチハイクをしたり、出会った方に泊めてもらったり。

奇跡のような出会いや、沢山の幸運に恵まれ、無事一人旅を終えました。

住所不定で過ごした2か月間は、私にとって最高に自由な時間になりました。

当時は世界2番目の高さだったシアーズタワー(シカゴ)にて。
お金がなくて、LAでヒッチハイクしたときの1枚。

アイダホ大学を卒業

アメリカで一番学んだのは「日本」でした

シアトルの短大を卒業後、アイダホ大学に編入しました。

在学中は日本人コミュニティに参加し、日本文化を紹介するイベントを開催したり、チューターとして日本語を勉強する学生のお手伝いをさせてもらうなど、日本とアメリカの2つの国を意識することが多かったと思います。

ルームメイトとの共同生活や、シェアハウスなど、刺激的な毎日を過ごすことが出来ました。

渡米してあっという間の5年間。

思春期を海外で過ごせたことはとても貴重な経験になりました。

言葉や文化を超え、時にそれらを繋ぎ合わせることで新たな価値観を生み出すことが出来る、充実した学生生活を送らせて頂きました。

2006年にアイダホ大学を卒業しました。
大学初の日本人主催のイベント。素晴らしい仲間に出会えました。

ベンチャー育成賞を受賞

高校時代の夢をのせて

帰国後は、英会話塾を開くための準備をしていました。その一方で、ネットラジオ局を開設し、ラジオDJをしておりました。

実は高校生の頃、アメリカに留学するか、友達と二人でお笑いの道へ進むかで悩んでいました。

結局お笑いの道はあきらめたのですが、帰国後再び挑戦したくなり当時流行りのポッドキャスティグでネットラジオをスタート。

地元の地域情報やイベント取材などを行う一方、県内の複数大学、短大と連携して学生の情報を発信。

リスナーの学生さんを集め、就活のサポートやマッチングを行う学生交流イベントの運営等を行いました。

その時出会った方に「英会話塾よりラジオのほうが面白い!」と言われ企画書を提出したところ、第8回広島ベンチャー助成金「ひろしまベンチャー育成賞金賞」を受賞しました。

学園祭パンフレットの背表紙を表面のようにみたててジャック
当時まだ珍しかったインターネットラジオをスタート
学生交流イベントを開催しました。

商いを学び可能性を広げる。

ボロボロな私が出会ったのは「お好み焼き」

ネットラジオを商売として始めてすぐに、お金がどうにもならなくなりました。

「皆が喜んでくれれば何とかなる」と突っ走ってきましたが、私は商いを学んだことがありません。

24歳のノリと勢いだけではどうにもなるはずがなく、「バイトさんの給料を払うために私がバイトをし、その給料をバイトさんにそのまま渡す」ということをこっそり続けるも当然長続きせずラジオ局は閉局。

そんな中、知り合いの社長さんに声をかけてもらい、「商売の勉強をするには飲食が一番だ」と、お好み焼屋さんで商いを学ばせてもらうことに。

ラジオDJを辞め、「お好み焼きで日本一になること」を次の目標にし、お好み武者修行開始。

お店での調理、接客はもちろん、食品工場での製造、商品の企画プロモーションや配送からPOPの作成まで、製造から販売までの運営業務の全てにかかわりました。

お好み焼き漬けの毎日を送ることで、商いで大切な基本的な事を学ばせて頂いたように思います。

イベントでは被り物をかぶってPR
一生分のお好み焼きを食べていた頃

楽天市場に出店!日本1のお好み焼きに!

このお好み焼きを全国に届けたい

店長としてお店を任せられた頃「うちのお好み焼きはネットでも必ず売れる」と社長に瞬間冷却器の購入を打診し、通販用の冷凍お好み焼きを開発。

楽天市場にて店舗を構え、ショップ店長業務とWEBデザインを兼任しながらECサイトをスタート。

昼はお好み焼き、夜はWEBデザイン、空いた時間に受注管理という過酷な業務をこなしながら、ネットショップでの売り方や、マーケットの分析を行う事で2013年、某男性アイドルグループのDVDセールス(2位、3位、4位)をゴボウ抜きにし、楽天総合ランキング1位を獲得。

自分の中での目標を達成したことで、次の目標に進むため退職。

培った知識や経験を活かすため、個人事業主期間を経て「株式会社DELTA」を設立しました。

ネットショップ店長時代。尾道の牡蠣屋台にて
株式会社DELTA設立目前の私

ベトナムの学生への奨学金支援

一人でも多くの子供達に学びの場を

会社を運営する一方、「一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会」に在籍し、貧困で学校に行きたくても行けない子供達の奨学支援を行っています。

支援を続けている少数民族寄宿高等学校はベトナムの真ん中にあるクアンチ省にあります。

農村部では月3,500円以下で生活をする人々が多く暮らしており、全ての子供達が学校に通えていない状況です。

私も現地へ行き、日本の支援者さんから集まった寄付金を学生に手渡したり、学生の家族が暮らす農村部にて密着取材を行い、現状を伝える動画の作成等をしました。

少数民族寄宿高等学校の生徒と一緒に。
奨学金授与式にて。

持続可能な社会を目指す新たな挑戦。

バングラデシュとの出会いと新たなる挑戦

私の住む東広島市には沢山の外国人が暮らしています。

留学中にお世話になった事への恩返しが何かできればと思い「日本語ボランティア」を始めました。そこで出会った一人のバングラデシュ人。

日本語や日本文化を紹介する一方、バングラデシュにも興味を持ち、バングラデシュを訪問してきました。

初めて目にする文化や宗教、人々の生活。経済的に決して豊かな国とは言えませんが、子供から大人まで皆まぶしい笑顔をしてます。

「真の豊かさはお金だけではなく、心が豊かであること」

そう強く感じ、新たなる挑戦の始まりになりました。

2020年3月。コロナの為バングラデシュ行きのフライトがキャンセル。

次はいつ訪れられるかわかりませんが、私の挑戦はこれからも続きます。

バングラデシュの首都ダッカにて。結婚パーティでの1枚。
訪問先のジュート(麻)加工工場。

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